最近英語民間試験とかが問題になっていまの教育も良くなっていないのだなとか思っていますが、自部はあまり興味がない。その理由は、もう教育自体が不要なものだという確信があるからです。
以前少年各自銘菓ゆたぼんという子が話題になってましたが、自分はこの子が正しいと思っています。学校に行く弊害が多いので行かなかった場合その弊害がないということになります。
一方自己教育しないと最低限の知識もないまま成人することになりますが、そのリスクを覗けば学校に行くリスクのほうが高いのが分かると思います。この記事を読めばわかります。
種明かしというかわかりやすい例を始めにあげておくと、私も含め今の人はテレビを見ない人が多くなっていますが、その代わりにYoutubeを見る人も多いでしょう。私はYoutubeも見なくなっていますが、まだまだYoutubeの動画需要は多いと思います。そこでどういう人が見られている、成功しているかを考えればもう答えは十分出ています。説明する必要ないです。
それは、人と違ったことをいう、人と違った発想をする人が勝ち組なのだと。
みんなと同じようなことをいう人なんて注目されないんですよ。
学校教育の弊害
学校は思考停止量産期間とも言えます。例えば学校では毎日6時間も勉強しなければならないこと自体が意味不明ですし、それをなんでかといっても答えてくれる人はいません。また子供は風の子というのもわからないではないですが、真冬に半袖半ズボンなのもよくわからないです。
一方私は半袖半ズボンでも寒いと感じたことはあまりないので「半袖半ズボンをやめさせろ」という意見も意味が分かりませんが。
他にも意味がわからないことはいろいろあって、なんで漢文をやるのかもよくわからない。中国語教育をやるというのならまだしも、漢文の読み下しなんかやって意味があるのか。古文は文化としてまだわかりますが、漢文は全く必要ないですよね。
こういった意味がわかないことばかりさせられていて、何をすべきか自分で考えない人間が量産されるわけです。学校で教えることに嘘が多いことも問題ですね。
教育が作る人間は今後の社会に必要とされる人間と反する
私もやってきたわけですが、意味もよくわからず大学にいくために12年も16年も勉強することにより得られるものはあまり多くないわけです。
学校では論理的思考や、いろいろな知識が得られますが、私は受験の時痛感したのは別に普段勉強していなくても受験の時さらっとやれば十分な知識でしかないわけです。
それに私もまたそうでしたが、学校でよくわからないことばかりやらされているせいか、夏休みとか冬休みになると特にやりたいこともないよ9うな状況になる。これは間違っているとしか思えない。
例えば、本来私は価額の才能があるから科学で成功するんだという考え場あったら子供のころからずっと勉強してやり続ければ大成功するに違いありません。成功しなかったとしてもそれなりの成果を上げることでしょう。
起業にも投資にも自由な思考が求められる
最近私は投資でちょっとうまくいきそうな感じがありますが、かなりの期間スランプでうまくいかなかったにもかかわらず最近うまくいき始めた理由は思考回路が原因の可能性が高いです。
どういうことかというと株とかFXでは色々テクニカル分析とかがあってそういった複数のものを参照しながらやる人が多いですが、そのほとんどが全く意味がないということです。結論として言えば経験と勘のほうがものをいう。
それ以外の偏見を排除できれば勝つ可能性が増えるということなんですね。
そして企業にも常識にとらわれない発想力が必要です。他の人がやっていないことをやればいいわけですよね。
にもかかわらず学校ではみんなと同じように行動することを求められる。この集団主義は日本の強みだった時代もありますが、今では全く役に立たないものになっています。
集団主義者は排除され始めている
自由な思考ができない集団主義者は排除され始めています。会社のリストラを進めています素非正規化がどんどん進んでいます。経営者の発言もずば抜けた能力がない人はいらないというものです。ずば抜けた能力があるものに1億はらってあとは100万円でいいだろうみたいな感じですね。
つまり社会では集団志向の同質な人間はいらないとされ始めている。
にもかかわらず学校では旧態依然たる集団主義教育を続けているわけです。みんな平等と教えている。しかし実際には人間は平等ではない。社会でもコネがあるか能力があるかでないと成功できないわけです。そして人と違う意見を言わない人は必要とされない。
学校教育は嘘ばかり教えているわけです。
子供に成功と反する教育をするのか
以上のことから学校教育というのはもはや弊害でしかないわけです。メリットはほとんどありません。工業化社会でロボットのように働く人間が必要だった時だけに有効な教育だったわけです。しかし今はロボットそのものが機械でできてしまいます。もうロボットがやることはロボットがやるのです。ロボットのような人間はいらない。
にもかかわらず自分の子供にロボットになるための教育をするのでしょうか?
ゆたぼんが猛烈に非難をうける社会というのがまさにこの弊害ばかりの教育がつくり上げたロボット人間なのです。

だって普通に考えたらゆたぼんが何しようが自由じゃないですか
ゆたぼんが学校行かなくて成功しようがしまいが関係ないでしょう。私には全く関係ありません。ゆたぼんがちゃんとした大人になるよう私が配慮する必要も全然ない。挑戦して失敗して野垂れ死にしても全く関係ないです。赤の他人です。
今の社会の人というのは大多数が、子供に怪我するかもしれないから家の外に出るなといって幽閉しているような社会です。
そして外に出ないと稼げない世の中だったとしたらじり貧になるのもやむをえないわけですよね。今の日本ってこういう状態なんじゃないでしょうか。
外に出る=リスクをとる
ということですけどね。竹中平蔵がかかわっている今の政策は彼の日本に対するうらみのようなものを感じざるを得ませんが、競争社会が必要という考え自体は私も同意するところなんですね。そういった中で、ロボット量産型教育が必要か必要でないか自分で考えるロボットじゃない人間が必要になっているわけです。
学校教育は絶対行くべき(特に根拠は提示しない)というような思考停止人間が滅ぼされようとしているんですね。
学校に行くにせよ行かないにせよ、根拠をもって自分で選択できる人間が求められているのです。