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下戸遺伝子の広がりと戦国地図 下戸VS酒豪の仁義なき戦い

歴史・文化・人類

こんにちは。今日は下戸について書いてみたいと思います。
ちなみに私は下戸で1滴も飲めないというわけではないが、ほとんど飲めません。それ以上飲めるかと言えば飲めるけれど、大体ビールコップ一杯で十分です。

自分は文化人類学的な分野に興味があるのですが、調べてみると弥生人と縄文人の特徴が両方あるので本土の一般的な日本人と大体同じだと思われます。

それではこれらの特徴はどのように広がっていったのでしょうか。

 

いくつかの要因を調べているうちに不思議な符号に気が付きました。下戸の分布は戦国時代のある勢力争いに関係していたのです。(あくまで論考ですが)

 下戸遺伝子

人類はもともとは酒に強かったと言われる。

飲酒によって生成されるアセトアルデヒドを分解することに関わるアルコール分解遺伝子にある時突然変異が起こり、下戸が生まれ広がっていった。

この突然変異はモンゴロイドのおいて起こったので、白人やコーカソイドでは下戸はほとんどいないのに対し、モンゴロイドでは広く見られ、そのほとんどは日本と中国・韓国などの東アジアである。

日本においては弥生人が渡来し、もともと本土に住んでいた縄文人と混血する過程において徐々に広がっていくこととなった。

 

それでは日本では酒豪と下戸はどのように分布しているのだろうか。

 

“酒豪”どこに多い? 「全国酒豪マップ」の謎-日本経済新聞電子版より引用

 

このように弥生時代にもたらされた下戸遺伝子は現代にいたり広範囲に広がっていくこととなった。

しかしこれを見ると朝鮮半島から九州に渡りそこから広がったというのはどうも腑に落ちない気がする。明らかに関西というか近畿中心である。

それはさておき、縄文人の遺伝的形質である酒豪遺伝子の出現率は下記のとおり(同記事より引用)。

 

“酒豪”どこに多い? 「全国酒豪マップ」の謎-日本経済新聞電子版より引用

 

下戸はどのように広がったのか

まずはじめに日本史の年表を見てみることにしよう。

Wikipedia 日本史時代区分表より引用

 

時代の区分には諸説あって年代のずれはあろう。

私が書こうとしているのは戦国時代だが、それまでの間に弥生時代時代に終わりから見ても1,200年から1,300年もの時間を経ている。

そのような長い期間において、渡来した弥生人が徐々に戦争などによって勢力を広げ、支配地域を増やしていくことによって人口を増やし、また混血により縄文人と弥生人の双方の特徴を持つ上に上げたような酒豪と下戸の分布が出来るに至った。

勢力を広げた弥生人は原住民である縄文人の女を引き渡させ、妻にしたのかもしれない。敗れた男たちは遠方に追いやられたのだろう。

しかしここで疑問が湧いてくる。なんでそれほどの時間を経て広がったにも関わらず地図には赤い地域がくっきり残ったのか。

弥生人は現代の日本においてもついには全土を埋めつくすことはなかった。

抵抗する縄文人~縄文系戦国大名の戦い

私は戦国時代が好きなのだが、この地図(上記酒豪遺伝子の分布図)を見てふと思ったことがある。

JUZO
JUZO

あれ?これって島津氏と長曽我部氏じゃないか?

そこで弥生人と縄文人の闘争は戦国時代にいたり、ある種の均衡に至ったのだと気づいた。

ここで素晴らしい地図を発見したので引用させて頂く。

 

戦国武将勢力地図www.geocities.jp/seiryokuzuより引用

 

ここからヒントを得た。

こうしてみると東の方も戦国時代の強豪、上杉氏と北条氏のあたりで分布図の色が変わっていることがわかる。メジャーな存在であり中央との交流も多かったであろう北条氏の領地に対し、中央との交流が少なかったであろうと思われる佐竹氏の領地からは酒豪遺伝子が強く残ったと見ることも出来る。

戦国時代も末期になると統一されてしまうので地図はその前の段階を選んだ。

そもそも弥生時代からの弥生人の定着により禁忌や出雲の国のある中国地方の住民は弥生系になっていたと考えられる。一方、それ以外の地域は縄文色が強く残っていた。

 

北条氏は守備に秀でた戦国大名で戦国時代終盤に降伏するまでは強固にその領地を守った。
同様に上杉氏もその戦闘力により戦国時代終盤まで滅ぼされることはなかった。

島津氏と長曽我部氏は九州と四国において支配的な戦国大名だ。

佐竹氏のさらに北にはこれまた戦国時代の英雄、伊達氏が備えている。

こうして戦国時代に至り、近畿を中心とした弥生系の集団の侵攻を、縄文系の強豪が阻んだのである。

その後羽柴秀吉による天下統一、徳川家康による天下統一があり支配者としての大名が変わることはあったが、ついに領民までは変わることはなかった。

そして戦国時代からさらに400年以上もたった現代に至っても、その戦国時代に起きた均衡は崩れることなく続いている。

北海道に関してはもともとの縄文系の集団に対し、東北からの屯田兵やそれ以外の地域からの屯田兵や住民の流入により、東北や鹿児島よりは薄れたのだろう。青森が薄いのも屯田兵の影響かもしれない。

まとめ

弥生色の濃い集団の侵攻が、戦国時代に至り縄文色の濃い集団の反撃にあい、止まった。

戦国時代に起こった均衡は現代にも残った。

 

これが私の仮説である。

 

 

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