資本主義というのはとにかく資本があってそれを活用し利殖を行う。これが至上命題だと思う。そして自由主義とは人間の自由な活動を認めるものだ。
それ自体は私にも異存はない。しかしこれが行き過ぎてしまうと利殖を行う行為(つまり儲けること)すらできなくなってしまうというこたがはっきりした。これが海賊版サイトの問題である。
ここで我々は考えなくてはならないと思う。すべてが自由放任でいいのか。「私の自由じゃん」「勝手でしょ」こういう発言は小学生の時誰でもしかことがあるだろう。しかしその延長線上は自分勝手というだけではないのか。
ここでは漫画村と星のロミというサイトについて考えてみたい。
漫画が無料なら読むに決まっている、しかも合法なのだ
漫画村のPVは月間1億あったらしい。つまり読んでいても言わない人も多かったといことだろう。中には開き直って読んでいると公言していた人もいる。しかしこの行動は完全に合法なのだ。海賊版を読む行為は違法ではないので、読んでいる人はなんら不法行為を行っているわけではないのである。
しかもこれから先も単に「見た」と言う行為を罰することになる可能性は少なそうだ。つまり法治国家としては消費者(といっても金を払ってはいないが)の行動は合法的であると認めていることになるのである。

それなら大手を振ってみればいい
こう思うのも当然だ。ここに大きな問題がある。様々な場面で日本は法治国家だからダメなものはダメだといわれることがある。それはつまり、裏返せば法治国家なのでOKなものはOKなのだということにもつながるのだ。つまり海賊版漫画サイトは(見る人に対しては)法的観点からはOKだということだ。法の支配に基づくなら堂々と見ていいということになるのだ。
ネットでは特に悪が野放しになりやすい
ネットの匿名性は悪を助長しやすい。いろいろ弊害があるのは誰でも知っている通りだ。そこでは捕まりさえしなければ「爆破予告」なども行われる始末だ。しかし実際には使っているようだが。このような状態なので無料漫画を見ることに引け目を感じる人などそう多くないに違いない。周りは見ているし見なければ損する。こう思うのも当然なのだ。
さらにこういう考え方もできる。
図書館はよくて漫画村はダメという論理はどうやって説明するのだろうか。漫画村で漫画文化が死滅するというなら図書館も廃止しなければならないはずだ。このように、規制する側の論点も弱すぎるのである。さらにいえば、作家の中には図書館にすら反対する人もいるだろう。そういう人にとっては海賊版でない正規の本を無料で貸し出しする図書館のほうが違法性がない分悪質だと思うかもしれないのだ。
それでも海賊版は悪、国家が規制するしかない
仕組みはよくわからないのだが、漫画村は国が接続を停止したらしい。この措置は必要だと私は思う。規制されなければ無法地帯となり権利を侵害し放題だ。漫画家の権利が侵害され続ければ漫画を描く人がいなくなってしまう。最終的には面白い漫画が廃れてしまうだろう。なので私は国家による規制を支持する。しかし考えなければならないことがもう一つある。
漫画に価値があるかを決めるのは消費者でしかない
我々の時代はエンターテインメントも少なく、音楽が主要なエンターテインメントであった。なので当時はCDとして売っていたのだが、今では考えられないほどバカ売れしたのである。1000万枚とかはあるかわからないが、500万枚とかはあったのだ。しかし今ではCDはまったく売れないと嘆いている。これは今は音楽はそこまで価値はないと消費者がみなすようになったということでしかないだろう。つまり別に海賊版があろうがなかろうが需要が減れば見たり聞いたりする人は少なくなるということだ。
したがってこういったコンテンツはすべて、「どんどん無料化する」のを避けられないと思う。
いずれ漫画は無料になり広告収入を作家に分配することになる
NHKがこれだけ嫌われ、CDも誰も買わず、レンタルビデオすらどんどん廃業してる始末だ。コンテンツにお金を払うということを消費者がしなくなっている証拠である。形に残らないものにお金を使いたくないのかなんなのかわからないが、ともかく我々はそこまでして有料のものを見たくも聞きたくもないというのが本音なのだ。映画も昔に比べれば全然流行ってないし、一部で盛り上がっているにすぎない。
音楽があまり有料では聞かれなくなったように、漫画もゲームもいずれ需要がなくなることもあるだろう。または逆に需要が増えることもあるかもしれない。つまりただのブームにすぎない。経済がバブルとバブルを繰り返すようにすべての需要増大は一過性でしかないのだ。
こうして最終的には漫画も本も無料化され、広告でまかなうことになるだろう。
あれ?それって漫画村と星のロミと同じじゃん。

全くその通りである。