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記憶と脳のメカニズム-記憶定着のサイクルについて

こんにちは。

 

人気ランキングがうんこに制圧されたJUZO(じゅうぞう)です。

しかしまあ、すぐに奪還するでしょう。というかどっちも私が書いたんでしたね。

 

それはさておき皆さん勉強をしたことはありますでしょうか。

 

 

え?あるって。

このブログを見る方が勉強家だとは知りませんした。私と違って「適当に面白おかしくやり過ごそう」としている方が見に来ているのかと思ってましたね。私とは大違いだ。

 

まあ仮に勉強なんてしてしたことがなかったとしても何かを憶えたとか忘れたとかはきっとあるはずです。

 

脳についての記事なんで数学ができないのか-脳(右脳・左脳)に基づき数学ができない理由を考えるの記事が急にアクセスを伸ばしたので私欲にまみれた私は「乗らない手はない」と思ったのでした。

 

そしてうまい乗り方はどれかと考えた結果、やはり脳だろうと思ったわけです。

 

私の脳は大きい!

 

さて、カオスな発言に驚いた方は別の記事を回ってきていただきたい。ブログの記事は決して逃げません。

 

私は頭が結構大きくて帽子も入らない場合が多いんですけど、顎にかけて逆三角形なのであまり顔が大きいとは言われないんですよね。小さいと言われたこともある気がする。しかし実はかなり大きいです。

顔が小さい人はA5の用紙に納まってしまうようですが、そんな化物本当にいるのかと思ってしまう。この前やってみて自分はやはりでかいんだなと痛感しました。絶対納まりませんから。

 

もし納まるなんて奴がいたら「こいつは脳が小さいんじゃないかね・・・」とか思ってやり過ごそうと考えております。

 

というわけでかつては脳男とまで言われた(嘘)私が記憶について出来るだけわかりやすく書いてみたいと思います。

 

記憶とは何か(脳と記憶)

記憶について書くことに決めた私は出来るだけ実利的・実用的に書くことに決めたのだった。

 

その理由は純粋に脳に興味がある人間なんて僅かだからである。例えば、記憶は脳のここでこうして行われているのだと知ったとしても、「今確かに海馬が疼き、記憶し始めたのを感じているぞ!」などというやつはいるわけがない。

 

またはシナプスを通って情報伝達していると知ったとしても、

 

ズキューン。今通ったぞ。冴えてる!

 

なんてやつもいるはずがないのである。

 

したがって記憶について書くとしても、脳のどの部位にどうこうとかあまり掘り下げても意味が無いと思うのだ。

 

また記憶というのは「感覚記憶」「短期記憶」「長期記憶」に分かれていると言われることが多い。

 

この「感覚記憶」というのは1秒程度見たり聞いたりしたものを覚えているということだが、つまりはこういうことだ。

 

 

私はよく鍵を探すのだけど、ものをなくした経験なら皆さんも多いだろうと思う。

 

しばらく探しても見つからず、ちょっと意識をそらした時にふと見つかる時がある。
そうした時におっ、あったなとか思って別のことをすると、再びどこにあったかわからなくなったりするのだ。

今たしかにあったことは覚えているぞ、というわけだ。

 

これほど腹の立つことはない。ほんの少し目を離しただけで再びやり直しになってしまったのだ。
とは言え、さすがに見た気がする大まかな場所はわかるのでじきに見つかるのだけれど。

 

これが「感覚記憶」である。

 

実利的な記憶というのだから、例えば受験とか試験とか、あるいは単にボケ防止でもいいわけだが、ともあれ意識して記憶する場面を想定しているのだ。

だからこの「感覚記憶」というやつはすっぱり切ってしまいたい。

 

よって、ここからは「短期記憶」「長期記憶」だけについて見ていく。

 

 

【短期記憶】

記銘後、数十秒から数十分という短時間保持される記憶。保持できる量は少ないが、この時間内では想起や復唱が可能。一般に7個程度の数や文字を記憶できることが知られている (出典:デジタル大辞泉 コトバンクより引用)

 

数十分もあって7個しか覚えられないなんてちょっと馬鹿じゃないのかと思ってしまうが、とにかくこういうことらしい。

ここでは7個というのはあまり気にしないで良いと思う。あくまで実利的に見ていくのだ。言葉の定義にこだわりすぎりのはあまり良くない。

 

意識して記憶していくという点においてこの分類は重要である。

 

短期記憶が次に述べる長期記憶へと変わっていくのだ。

 

【長期記憶】

記銘後、年単位にわたって長期間保持される記憶。生きている間ずっと保持されるものもある。個人的経験に基づくエピソード記憶、言葉の意味や知識などの意味記憶、自転車の乗り方や楽器の弾き方など動作として身に付けた手続き記憶に分類される。(出典:デジタル大辞泉 コトバンクより引用)

 

同じデジタル大辞泉だけど、これはちょっと難しい。わざわざ記銘後と書かなくても良いと思うけど専門的、学問分野的な定義だろう。ここではしっかり記憶された後という意味で良いと思う。

年単位というかなりの期間に渡って覚えているというのは、まさに我々が手にしたいと思っているものなのだろう。

 

問題はなんで出来ないかだ。



忘却(忘れてしまうこと)とは何か(脳と忘却)

これに関しては実な何かも何もないのだけれど、頑張って憶えたことを人は忘れてしまうように出来ているのだ。忘れないのは執念深い私のような人間に限られるだろう。とは言え、しょちゅう物の場所を忘れたりしてるのだが。

 

私の考えでは、忘却というのは本当に忘れてしまうのではなく記憶のプールのような場所の深い底の底に沈んでしまうことだと考えている。一生かけてもすくい上げられないほど深い位置に沈んだとしても決して忘れきってしまうということはないと思うのだ。

 

デジタル大辞泉の解説では、

【忘却】

[名](スル)すっかり忘れてしまうこと。忘れ去ること

と出ている。(コトバンクより引用)

 

ということはここからは私の定義と一般的な定義は異なる可能性がある。だが問題ないだろう。私はこのブログの筆者なのだから。

 

一度憶えたことをすっかり忘れてしまうことはないと考えている理由の一つは、ずっと忘れていたこと、何年、時には何十年と忘れていたはずのことを、あるきっかけで思い出したりすることがあるからだ。これも経験がある人も少なくないだろう。

 

ということは、「すっかり」忘れ去るということはない可能性のほうが大きいと思う。

脳の研究はわからないことだらけだ。いずれこちらが正しいと言われる可能性は十分にある。

 

別の例えでは、非常に大きな引き出しとか収納箱があったとして、手前にあるものと途方もなく奥にあるものでは取り出しやすさが全然違うというようなことだ。

見つかってはならないものを取り出しやすいからと言って手前においている人は注意が必要だ。

 

ちょっと前だって、見つかりやすいところでアレコレしてしまって、本当に見つかってしまって大変なことになった人がいたではないか。バレなきゃいいとは言わないが、バレなければ少なくとも人を傷つけなかったという場合はあるだろう。

 

同様に、例えば記憶にしてみても思い出すと再び傷ついてしまうようなショッキングな出来事は、あたかも忘れ去ってしまったかのように奥深くへ封印されてしまうべきなのだ。

 

 

忘れてしまうということは、精神衛生上の理由など様々な理由で意識の表面においておけない記憶が(それは単に表面における容量の問題かもしれないけど)深いところに沈んでいるということだと考えている。

 

思い出す(脳と想起)

 

ふとしたきっかけで、脈絡のないことを思い出してしまうことがある。

例えば、私の書いた記事では人によって滑ったり、ツボにはまったり、またはそもそも笑いを狙っていない記事もあるけど、つい次の日思い出してしまって吹き出してしまう人もいるかもしれない。

 

そしてこれは暗示である。これを読んだあなたは、明日ふとしたきっかけでなにか面白いと思ったことを思い出して、場合によってはデスクにコーヒーを吹き出すことになるだろう。暗示にかかりやすい人は本当にかかってしまうことがあるから注意が必要だ。(もっともこの注意を促した事自体もポイントなのだろうけど)

 

私自身にしても、ふと道を歩いている時に面白くてたまらなって吹き出してしまうことがある。あまりに滑稽な人を見つけたときには聞こえるように爆笑してみたりすることもある。

 

逆に、どうしても思い出したい時にどれだけ長い時間をかけても思い出せないこともある。

 

これはおそらく脳に対する刺激の程度の問題で、低刺激かつ重要性が低い記憶に関しては先ほど述べたような脳の奥深くにしまいこんである状態だと思うのだ。

 

これが脳のどの位置、器官になるのかは不明だけど、とにかく出しやすい位置と出しにくい位置があると思うのである。

 

したがって、記憶するということ自体が脳の取り出しやすい位置に情報を配置して思い出しやすくするということだと私は考えている。

言いかえれば思い出すというのは記憶を確かめるということであって、記憶が確かめられる状態を持って「記憶している」というのである。

 

我々が何も意識しないで話をするように、脳のもっとも表層的な位置にある記憶が思い出されてアウトプットされているという状態にあっても、それは意識していないだけであって記憶を引き出していることとの区別はないのだと思う。

 

その証拠に、時々知っている言葉を思い出せないことがある。これは通常日常会話で喋っている言葉ですら、「記憶である」ことの証明である。

 

 

思い出すというのは記憶を引き出して再び発する(または認識する)ということであって、それをどれだけ意識的にやりやすくするかが(意識的に)記憶することだと言える。



記憶の(脳への)定着

 

脳への定着といってもここまでの文脈から脳の表層的な部分だと思っていただきたい。

 

実利的な面から見ればこの定着というのが重要である。

 

内なる記憶

我々がものを覚える時、定着の仕方を大きく二つに分けることができると思う。

 

例えば、始めて登った山の頂上でこの上なくきれいな空気を吸った時、山が好きな人ならば何年たってもありありと思い出すことが出来るだろう。

また数学でもクイズでも時間をかけて考えた末に、なんども挫折しても諦めずついには自分のひらめきで解決に至ったとする。
そういう場合、その記憶はすぐに忘れてしまうことはなくかなり長い間はっきりと記憶されているはずだ。

 

またある人は初めての人を忘れらないということもあるだろう。

 

 

何であろうと同じことだ。

 

 

・・・このように、我々は強い感情や自分の中から発した考えの結果としての記憶は、かなり長いこと忘れずに覚えているものである。

 

こういった記憶を、私は内なる記憶と呼ぼうと思う。

 

 

外なる記憶

小学校の夏休みで、80%以上の人は夏休みに入った途端遊び始めたはずだ。さんざん遊び倒したあげく休みの終わりには、そもそも夏休みの宿題がなんだったか忘れたという経験があるだろう。

 

一方、そんなの忘れられるはずもなく、毎日こつこつやったという人もいるだろう。

 

私はその中間だ。毎日いずれやらければならないという圧迫感を少しだけ感じたまま、でもやっぱりやらないということにしていたのである。うちの親はなぜかこれに関してはそれほどうるさくはなかった。

どっちにしても(真面目でも不真面目でも)、やれと言われなければやっていないはずだ。人からやりたくないことをやれといわれるから嫌なのである。そしてそういうことを往々にして人は記憶することが出来ない。

 

社会人の方は、上司にしつこくメモを取れと言われたことがあるだろう。私も覚えられないものはしっかりと書いていた。憶えられると思ったことは言われてもシカトしていたけど、部下に対しては2度忘れた後ははかなり厳しくメモを取れと言ってきた。(一回目はうるさくない。)

 

しかしこれもなかなか難しい話だ。人から言われて覚えることほどストレスのかかることはないからだ。
だから夏休みの時と同じようになかなか人はメモを習慣が出来ない。これは私にしても当てはまることである。

 

このように、自分の内から出てきた情報でなく人から与えられた(押し付けられた)情報は定着させることが困難である。

 

これを内なる記憶に対して、外なる記憶と呼びたいと思う。

 

 

 

なんで記憶することが出来ないのか(記憶が定着しにくい理由)

 

我々が記憶するという時、ここでは実利的な意味での記憶だと言ったけど、覚えるべきことは大体外なる記憶だということになる。

 

先に述べたようにこれはとても覚えにくいのだ。

 

受験や資格の勉強では、あくまで社会的に(あるいは個人の実利的理由で)やらなければならないというだけで、本心から憶えたいと思っているわけではない。憶えたいと思っているのは頭の一部で、本能に近い部分ではその必然性を感じ取ることが出来ないのだ。

 

単純な記憶と例えば自転車や車の運転のやり方を記憶することとの違いは、脳の本能的な部分が必要だと認識できるか否かにあると思う。

車に乗るためにはこういう手続を踏まなければならないというのは脳には受け入れやすい情報なのだ。

何故なら上手く運転できない場合怪我をするか下手をすると死ぬからである。

 

そうした恐怖や不快を感じた時、脳はそれを避けるための多少の苦痛はいとわないのだろう。

 

脳(の中心)は、そうしなければ死んでしまうというような本能に根ざした危険しか避けるべきものと認識することが出来ない。

 

したがって受験に落ちたら最悪だとか資格で落ちたらまた来年もやらなければならないということは脳が避けるべきリスクとはなってない。そのため覚えるために内から湧いてくるパワーが無いのだ。

 

「なんで出来ないの?あんた遊びとかああいう時ならすぐ出来るのにね」とかいうあれと同じだ。

 

脳にしっかり記憶させるためにはこのあたりをクリアにする必要がありそうだ。

 

 

繰り返し(脳に定着させる方法)

 

ここで始めからの見出しのことを思い出していただきたい。

 

記憶、忘却、思い出す、定着となっているはずだ。これはそのまま記憶のメカニズムである。

 

すでに述べたように記憶は思い出した時にしっかりと定着していくのだ。

そして思い出すことは忘れてからしかすることが出来ない。

 

なんで覚えることが出来ないのかとか、なんですぐ忘れてしまうんかと思う人は多いだろうけど。それは自然な一連のルートの一部にすぎない。だれだって忘れるのである。

 

下の図(?)を見ていただきたい。

 

 

 

記憶は忘れて思い出すごとに大きくなっている。実際には大きいというよりはしっかりと記憶されると言っても良い。

 

これは私自信が経験したことでもある。忘れたということ自体が次に復習する時にさらにしっかりと記憶を定着させる要因になるのである。

これをしっかりと認識していないと結局覚えても振り出しに戻ってやっている意味が無いと思ってしまう。しかしその認識こそが間違いだ。

 

はっきり言って、この記事を見た受験生はラッキーだろう。ここまでわかりやすくはっきりと言い切っている記事はないと思うからだ(自画自賛)。

 

忘れるということが実は重要なプロセスだと知っていただきたい。既に言ったように忘れなければ思い出すことは出来ないのだ。

 

もっとも重要な思い出すというプロセスは、忘れた後にしか通過することが出来ない。したがって、忘れたことを悪いことだと思うことはないのだ。

 

記憶は振り出しに戻ってしまうことはない。忘れたことによってよりしっかりと記憶するチャンスがやってくるのである。

 

 

脳の報酬系

褒められたりすると普通嬉しいものだ。私の場合は天邪鬼なのでむしろ腹が立ったり恥ずかしいだけだったりすることもある。

 

褒められたり、美味しいものを食べたり、お金をもらったりすると誰だって嬉しい。

 

記憶に関しても同じことだ。上に書いたようなことをよく理解して忘れたことをチャンスだと思うようになれば、勉強や記憶トレーニングの進行度が全く変わってくる。

 

よし忘れたぞ→前より覚えることが出来たぞ

 

となるのだ。

ここまで行ってしまえばもはや失敗すること自体が困難だろう。何故なら所詮受験や資格の勉強は他人との競争でしかないからだ。好きこそものの上手なれの状態になれば、そうなっていない人にそうそう負けるものではない。

圧倒的にぶっちぎりで勝利することが可能である。

 

前の記事でも書いたが、高校時代全く勉強していなかった私が早稲田大学の政治経済学部、法学部、第一文学部、社会科学部、商学部を受けて全て受かったのである。(自慢じゃないよ。)

 

ボケ防止という場合には少し変わってくるけど、そもそも記憶すべき量が違う。しかし憶えたぞというのが快感になってモチベーションが維持できるようになれば同じことだろう。

 

記憶すること自体を、脳の報酬系に組み込んでいくことをおすすめしたい。

 

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脳に定着させるために最適な時間

 

繰り返しの暗記など記憶する作業をするにあたって、最も効率的な時間というものがあると思う。

それは私の考えでは、曖昧さが残る部分を全て忘れてしまったときだ。あるいは忘れかけている時と言っても良いだろう。

 

忘れるということを「戦略的に」組み込んでいく必要がある。

 

もっとも暗記的な勉強を、最も忘れやすい時間の前に行わなければならない。

 

 

その最も忘却が起きやすい時間というのが睡眠である。

 

せっかく覚えたとしても寝て起きたら忘れているのだ。
これを利用しない手はない。

 

受験生ならおそらくもっとも勉強量が必要で暗記が多いのは英語だろう。だから、寝る前に英語の暗記する分野を持って来るべきである。それは受験初期においては単語帳だろう。ここでは具体的なことまでは触れないが、寝る前の30~40分で単語を暗記して、朝起きてすぐその復習をするのが最も効果的なはずだ。

あるいは個人差があるかもしれない。復習を昼前にした方が効率が良いと思えばそうしても差し支えはない。

 

弁護士や公認会計士、税理士などの資格の勉強でも同じことが言える。暗記する量は受験と比べても膨大だろうけど、もっとも暗記しなければならない部分を集中して睡眠前と後に持って来るべきである。

 

 

記憶というのはより長いスパンで見れば上の図のようなコースをたどる。この図は、左の四角が完璧な記憶だとして、そこからしばらくすると一部を忘れてしまったという状態である。忘れてしまう量は同じだとしても、忘れてしまうまでの時間は繰り返せば繰り返すほどどんどん長くなっていく。

 

最終的にはしばらくたってもほとんど覚えているという状態になるだろう。この状態になると極めて短時間で全体の復習を出来るようになる。こういう状態(記憶が薄れない状態)を作って、別の教科なりジャンルに広げていくのが得策だ。

 

 

脳に憶えさせる最適な頻度

上の図のどの位置にいるかによって、最適な頻度が変わってくる。

 

バカの一つ覚えのように年を通し全く同じ頻度で復習(記憶)をしてはならない。より忘れにくくなれば、より長い(少ない)頻度で記憶(のし直し)をしていくべきである。

 

ここで私が述べたようなことに大体あっていて理にかなっていると思う勉強法があったので紹介しておきたい。

 

七田式の英語学習法のページをみればそのやり方が私が言ってきたことと一致しているとわかるはずだ。この教材は合理的だといえる。

とにかく重要な部分を繰り返し行えば良いということである。
繰り返すことによって脳の表面に近い部分に定着しているということだ。今までの文章をご理解いいただけていれば納得だろうと思う。

 

この教材は受験生というよりは受験前の高校生や受験後の大学生に合っているかもしれない。リスニングやスピーキングが重視される試験を受ける場合は効果的だと思う。

ただし購入してもやらなければ伸びることはないのはいつの場合も同じである。

 

つぶやいて覚える時にそれを一層有効にするのが音声レコーダー(ボイスレコーダー)だ。

合う合わないはあると思うが、はまった場合かなり暗記を高速化出来るはずだ。

要するにつぶやいて暗記しつつ、移動中などにそれを聞き直すということである。

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

繰り返しになるけど、記憶(暗記)にとっては思い出すということが最も重要だ。

忘れなければ思い出すことは出来ないという点で、忘れることが最も重要だといいかえることも出来る。

 

記憶のサイクルは、

 

記憶→忘却→思い出す→記憶の定着

 

というプロセスを繰り返すことによって出来ている。

 

このどの過程も欠かすことは出来ないものだ。どうせ忘れるからやらなくても同じだというよな考えに陥らないようにしていただきたい。

 

一旦憶えられたことに快感を覚えることが出来ればこのサイクルは楽なものになってくる。脳の報酬系に記憶のプロセスを組み込むようにしよう。

 

記憶の定着が薦めばば進むほど記憶が薄れていく時間が長くなっていく。
この記憶が薄れる時間に応じて記憶(暗記)する頻度を変えることが効率的だ。

 

頻度を多くするのは記憶がまだ定着していないときのことだ。忘れなくなってきたら頻度も減らしてしまって構わない。

 

したがって、このサイクルは進めば進むほど楽になっていく。

 

始めの辛い時間で挫折しないようこの記事をよく理解していただきたい。

 

 

ここまでで実利的(実用的)な脳と記憶に関する説明が出来たと考えている。

 

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