こんにちは。
NPOハンターことJUZO(じゅうぞう)です。
まあ嘘ですけどね。
ところで皆さん勉強したことはありますでしょうか。え、あるって?どこかで見た言い回しだなこれ。
まあ勉強したことがない人はいませんよね。
ところで塾というのは皆行っているもんなんですかね。昔私も塾へ行っていましたけど同じ中学の人間は数人で何校か他から来てましたけどね。他の人達は行っていたんでしょうか。
前に東洋経済でこういう記事がありました。「平均38万円!「塾代が払えない」問題の処方箋」
この記事によると、
「塾」は欧米諸国にはほとんど存在しない東アジア特有のシステムであるが、日本では、中学3年生の実に6割以上が通っている。一方で、経済的理由から塾に通えない子もおり、学校外で受けられる教育の格差が広がっている。
だそうですよ。6割も行っているんですね。ということは言うまでもなく4割は行っていないんですね。
その4割の人はお金がなくて通えないということです。それはそうですよね。38万円は大きいですし誰でもポンポン払える額ではありません。
子供の頃はそういうことはわかりませんから、私は別の記事でも勝手に行かされたとか書いているわけですけどね。行かされただけでも恵まれていたということかもしれません。
とにかく格差があるというわけですね。
そこで塾に通えない家庭の子供にクラウドファンディングで集めたお金をクーポンとして与えるというわけですね。
このスタディクーポンというのはこちらのサイト「スタディクーポンイニシャティブ」で見れますからクラウドファンディングに協力したい方はしてあげるのも良いと思います。それで何人か塾に行けるんですからね。
しかし別の記事でも書きましたけど私には別の考えがあります。
塾に通ってはいけない理由-なんで塾に通ってはいけないのか(独学のすゝめ
そもそも塾に行かないほうがいいと言っているわけですからこのスタディクーポンに対しても穿った見方をするのが当然ですね。というわけでここから穿った見方を書いていきたいと思います。
スタディクーポンのロジック
ロジックと言っても別に怪しげなものという意味ではない。
①親の所得格差が子どもの塾代にかけられる費用に直結してしまい(塾代格差)、結果として ②子どもたちの将来の可能性にも影響を与えてしまう(不平等の連鎖)(出典:スタディクーポンイニシャティブ)
(注 下記引用は全て同サイトからになります。)
この文を読んだ時世間ずれした私は「当たり前の話じゃねえの?」と思ってしまったのだった。しかしとにかくこの前提をどうにかしたいという事業なのだからしかたがない。
(同サイトより引用)
このグラフを見れば親の収入が増えれば増えるほど塾に対する投資が増えるらしい。
だからお金がない家庭の子供は塾に行けないので「将来の可能性にも影響を与えてしまう」ということなのだ。しかし本当にそうだろうか。
塾にかなかったら志望校に落ちるというのだろうか。
スタディクーポンに内在する矛盾
私はすでに格差という当たり前のことが前提になっている時点ですでに疑問なのだけど、このお金を集めてクーポンを配るということ自体で矛盾が生じていると思う。
スタディクーポンを配ればスタディクーポン格差ができる
(同上)
スタディクーポンのサイトを見ていくと、大体子供を塾に行かせるためにはこれくらい掛かるらしい。
一方で、このサイトがクラウドファンディングで集めた額は次のようなものだ。
40人しか行けないのである。
そうだとしても素晴らしいことには違いない。592人もの人が寄付して30人の子供が本来行けなかった塾に行けるようになるのだ。しかもクラウドファンディングというのは追い込み的に出資額が増えることも多いようなのでさらに塾にける子供の人数が多くなる可能性はあるだろう。それはそれで素晴らしいことではある。
しかし、この時点で明らかなのはスタディクーポンをもらいたいのにもらえない子供が出来るということだ。これは不平等を少し是正したとも言えるけど、新たな不平等を生んだだとも言える。
このサイトによれば「①親の所得格差が子どもの塾代にかけられる費用に直結してしまい(塾代格差)、結果として ②子どもたちの将来の可能性にも影響を与えてしまう(不平等の連鎖)」ということだが、
スタディクーポンを受けられたか受けられなかったかが子どもの塾代にかけられる費用に直結してしまい(塾代格差)、結果として ②子どもたちの将来の可能性にも影響を与えてしまう(不平等の連鎖)
と言いかえることも出来る。
これを平等を是正するためにやっている主催者はどう乗り越えるのだろうか。いくらかの子供を塾に行かせることが出来たとしても、自らの手で塾に生かせられなかった子供を選択的に生み出すことになるのである。
塾の問題に関心のある人は当事者に限られる
受験の経験がある方はわかると思うけど、受験などと言うものはできるだけ早く通過して二度と思い出したくないものである。したがって様々な矛盾がある社会でこの問題だけ特に助けるべきものであると考える人はどうしても限られてしまう。関心があるは主に受験期を迎えた子供がいる家庭の親だと思う。
それ以外の殆どの人は、このニュースを読みもしないだろうし、読んでもそれほど気に留めないだろう。592人というのは多いのか少ないのかわからないがこの事業が有意義だとしても満足行く金額を集めることは難しいだろうと思うのだ。
ライバルに投資する親はいない
このファンドに寄付できる人間というのは所得の高い人たちである。所得の高い人たちは自分の子供を高いをお金をかけて塾に通わせることが出来る。仮に先に述べた塾の問題に関心のある人が受験世代の親子でしかないということが正しければどういうことになるだろうか。
受験というのは実際には金のあるなしに関わることではない。お金持ちの放蕩息子が貧乏な過程の秀才に受験で敗れるなどということはありすぎる話でしかないだろう。
この意味でもすでに塾が決定的なものではないということなのだが、我が子を塾に通わせているお金持ちの親がわざわざ自分の息子や娘のライバルのために寄付などするだろうか。
もちろん寄付をしている人がいるのだから寄付をする人はいることはいる。
しかしこの構図が矛盾を抱えたものであることは事実だと思う。
塾を前提とする限り根本的な解決にはならない
このスタディクーポンという仕組みは明らかに塾に行けないから志望校に受からない当前提があるだろう。そうでないなら「将来の可能性」が変わったりしないからだ。
しかし私は塾に行くことが志望校に受かることだという前提が気に食わない。別に記事にも書いたけど塾行くかどうかは受験の成功は無関係でむしろ行かない方がいい場合が多いと言いたいのだ。(「塾に通ってはいけない理由-なんで塾に通ってはいけないのか(独学のすゝめ)」)
受験というのはやるべきことをやれば受かるのである。したがって、それをする場所が塾であるかどうかは関係がない。参考書で十分なのであってクーポンを参考書や比較的安価な通信教育に使えばより良い学習をできる子供は数倍も数十倍も増えるのだ。参考書だけで受かった私に言わせれば受験には絶対に受かる勉強量すらあると断言できる。(もちろん習得した上での話だが)
「①親の所得格差が子どもの塾代にかけられる費用に直結してしまい(塾代格差)、結果として ②子どもたちの将来の可能性にも影響を与えてしまう(不平等の連鎖)」というのは殆どの人が納得する話ではあろうが、むしろその思い込み自体が将来の可能性に影響を与えていると言ってもいい。
塾に行かないと受からないかどうか私が書いた記事を読んで判断して欲しい。
本質的な問題は塾に行けるかどうかではない
塾に行けるかどうかが受験に合格するかどうかの鍵ではないのだから、スタディクーポンを受け取れなかったからと言って諦めないで欲しい。私に言わせれば塾に行く必要はないばかりか、逆に足を引っ張るだけなのだからスタディクーポンなどもらわないほうが良いのだ。
スタディクーポンをもらったばかりに行く必要のない塾に行って他人と同じペースで勉強をするなどということのないようにとお勧めしたい。受験という競争において他人と同じ行動を取るというのは純粋な能力や努力の差を反映しにくくするだけである。
能力がある人間は他人と同じペースで勉強をすることにより本来進められる勉強量より少ないものになってしまうし、他人より努力ができる人間は独学なら差をつけられた努力の分を放棄することになるのだ。
独学という意味では別の記事で塾代をうかして参考書を中心に勉強し、余裕があればZ会などの通信教育をやったほうがいいと書いた。
こういったことがわかるのは受験の成功者でしかあり得ない。受験の期間というのは誰しも人生の一時期でしかない。
こういった気づくべきことや認めて受け入れるべき本質を気づかずに通り過ぎたり、受け入れないで失敗することのないようにしていただきたいと思う。