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WEBおべんちゃら考察-ツイッターやFacebook(SNS)の「いいね」の本質

SNS

 

こんにちは。時々毒舌家、涼村什雜(じゅうぞう)です。

 

それは僕が社会人になったばかりのことでした。(いきなり語り口)

 

と言っても2,3年は経ってましたかね。

 

当時僕は某業界の営業マンをしておりました。もったいぶらずに言ってしまうと僕は営業では鬼才の部類だったのです。その会社、業界は扱う商品も大きく入社2,3年目ではまだ新人とみなされていたました。ただし、僕は鬼才だったのでぶっちぎりの成績で表彰を受けることになります。

 

当時僕は社員寮として使われていたアパートに住んでいたのですが、アパートといっても規模は大きく、作りは質素でも食堂が併設されたようなところでした。表彰が終わって社員寮に帰ると僕は食堂の椅子に座ってふんぞり返っていました。何故なら出来る男だからです。

 

職種的に経験がない方にはわからないかもしれませんが、アホみたいな平等主義に冒された日本ですけど営業マンだけは数字こそが物を言いいます。日々月末の数字に追われて過ごしている営業マンにとっては数字が達成できない上司の発言など少しの影響力はありません。だから僕がふんぞり返っていたにもそれなりに正当な理由はあったのでした。

 

「先輩、すごいっすね。聞きましたよ。」突然背中から声をかけられました。

僕は15cmほど前にずり落ち椅子の上に乗せていた足のすねをしこたまテーブルにぶつけました。この野郎。僕は思ったのでした。

「何が凄いって?ああ?」すでに半ば切れかけて僕はその男に聞き返しました。

「いやいや凄いじゃないですか。入社数年で表彰なんて。みんな凄いって言ってますよ。」

この野郎、そんなことでおどかしやがって、僕はそう思ったのでした。しかしこの男、見たことがありません。(一体誰だこいつ。最近入ってきたやつかな。)

 

しかしなんだかこの男、やけににやにや笑いすぎているのです。僕は「カラマーゾフの兄弟」の下卑た役人を思い出しました。どうも様子が違うぞ、この男。なんといっても僕は鬼才の部類に入るとほざくほどの男です。プライドを傷つけられる形の嘲笑を見逃すことが出来ません。

しかし変だぞ。この男は例の表彰を凄いと言っているわけだし。

 

世の中には劣等感から見下した態度をとる輩がいるのです。この男もその類のムジナだったようです。しかもその男の絡みはそれだけでは終わりませんでした。30分位我慢していた僕はついにすねをあてたことへの腹の虫が治まらなくなってポカリとやってしまったのです。

 

しかし次の日出社したら、部長がおかんむりで僕はさんざ怒鳴られてしまいました。なんとあの男、先輩だったのです。この日本の会社のダブル・スタンダードはまことに厄介ですね。

 

さて相変わらず意味不明なネタでしたが今日はおべんちゃらについて書きたいと思います。

SNSにはびこるWEBおべんちゃらとは

 

 

 

WEBおべんちゃらという言葉をご存知でしょうか。知らない方はWEBおべんちゃら(またはネットおべんちゃら)と言葉を覚えていって下さい。僕が発明した言葉です。(どうでもいいですね。)

 

SNSの記事で書いたとおりSNSにはおべんちゃらがはびこっているのです。まるでカラマーゾフの兄弟を読んでいるかのようです。

どういうことかというとSNSのいいねと言うのはどうも本当に感心した以外の意図が隠されているのです。ツイッターなんかのいいねを見ているといいね一つに何か見返りを求める腹の内が透けて見えてきます。

 

僕はこのとおりどちらかと言えばSNS否定派なのでこのツイッターのフォロワーさんも3名しかいません。しかし実は別に多少のフォロワーさんがいるアカウントがあるんですね。でも僕はこういう性格なのでめったに人のツイートにいいねはしません。本当にいいなと思ったときだけです。そうすると見事に僕のツイートにはいいねはつきません。それでもフォローはしているんですね。

 

このことから思うのはツイッターのいいねには「いいなと思ったものにいいねをつけること」にブレーキを掛ける要素があるようです。つまり返ってこないならどんなにいいツイートでもいいねは絶対につけないというわけですね。全く笑ってしまいます。

いいねがたくさんついているツイートにいいねをつける心理

 

101匹目の狼ちゃんと言われ親しまれている僕ですが、日本の集団主義には全く嫌気がさします。

いいねがたくさんついているのを見ると皆がいいねをつけんだすんですね。その心理を考えると背筋が寒くなります。何故ならそこにいいねをすることでツイッター上のマジョリティに属していることをアピールすることになるからです。

最近ではネットの意見とか言ってメディアが新手のWEBおべんちゃらを展開していますが(youtubeで見る)、目立つツイートにいいねをつけることでその話題の主要な参加者であるという自己顕示欲が透けて見えるのです。

お返しとしてのいいね自分に対する評価だという錯覚

 

例えお返しでもたくさんのいいねがついていると評価されている気分になるのでしょう。いいねをもらい続けるとそれがお返しに過ぎないことを忘れてしまい、しだいに自分への評価だと思いこむようになります。

しかし考えてみて下さい。

例え数千件のいいねを貰ったとしてもあなたはその発言でブログでも評価を受けれるでしょうか。もちろん受けられればそれは本当に素晴らしい発信をしたのだという証拠になります。

 

しかしツイッターなどのSNSと違い、ブログは主に検索ユーザーのために書いているメディアです。誰もお返しで訪問してくれる人などいません。したがってどれだけSNSでいいねがついていたとしても匿名でブログを始めれば化けの皮が剥がれることになります。ツイッターでいいねを稼いでいる人たちが素の発信で同じような評価を受けられるか見ものですね。

果たしてSNSという狭い世界だけのそのような評価は何かの役に立つのでしょうか。僕は自分を錯覚させるだけだと思います。「私はツイッターのこのIDでは一かどの人物なのだ」とか思ったとしても、しょせん独りよがりの思い込みに過ぎません。

フェイスブックに感じる恐怖

 

 

僕は神経質すぎるのかもしれませんがフェイスブックをやっていると恐怖を感じることがあります。フェイスブックに関してはビジネスアカウントとして設定し、個人アカウントとは切り離して誰からも見えないように使っていたのですが、ある時ビジネスの投稿が個人アカウントへ投稿されていました。(個人アカウントも誰から見えない設定にはしていた。)

ビジネスで何かやるたびに知り合いに知られるなんて恥ずかしすぎます。これは日本に特有の神経質なのだと思います。でも日本人なら多少はこの感覚はわかりますよね。

 

これと同じように実名で堂々とブログをやる神経というのが僕にはちょっと理解できません。まあ目立ちたいというのならそれはそれでいいのですけどね。ただ、不細工な面を堂々とさらして痛々しいブログを書いている人(このブログも批判の例外ではないが)や、イケメンだろと言わんばかりに何度も自分の顔のどアップを乗せてしまう痛い人を見るとどういう神経しているんだと言いたくなってしまいます。(僕クラスの優男が顔出ししたら生活が)

 

何とかしてブロガーのコミュニティに入ろうとする人たち

 

ブロガーの業界もWEBおべんちゃらの例外ではありません。僕自身はすごいなと思っているブロガーもいますがやはり僕がそう思うような人は個人として動いています。意味不明なブロガー集団に入ろうとはしていません。

 

一方なんだか頭スカスカのブロガーコミュニティのようなものに入りたがる人が多い気がします。ブログのような文筆業の端くれでもそのようなコミュニティの一員であることは必要なのでしょうか。誰かとつながりがあるという背景が自分の影響力を強めてくれるというような考えは、人脈を自慢している世間知らずの大学生のように薄っぺらです。

そのような人たちが書いているおすすめブロガー○選なんて記事が役に立ったことは殆どありません。(もっともおすすめされている側に罪はないし、素晴らしいブロガーもいる。)

 

しかし、これが何故WEBおべんちゃらなのでしょうか。

 

それは影響力のあるブロガーにゴマをすって認めてもらい、自分を売り出そうという算段に過ぎないからです。

そうやって何とかしてコミュニティに入ったとして、それが長期に渡って自分の価値を高めることになるのでしょうか。僕にはそうは思えません。あなたの読んでいる人気ブロガーとやらにもこの手のおべっか使いがいることを確認して下さい。そういう人の意見に影響を受けるのはマイナスでしかなく到底おすすめできません。(話がそれてしまいました。SNSに対する記事でしたね。しかしブログも同じことのようです。)

第一そんなゴマすり人間に他人に影響する発言など吐けるのでしょうか。

ブログで感じたフェイスブックの影響力

 

当ブログも悪くない伸びを見せておりまして現状1日200PVを大体上回る様になってきました。300PV/1日も遠くないように見えます。3ヶ月での成績としたは満足と言っていいかもしれません。

またいくつかの記事でフェイスブックでのシェアをいただきました。一つにはノレルの記事でノレル公式(フェイスブック)にシェアしていただいたようでありがたかったです。この記事は3ヶ月目のブログとしては上位に表示されていますがフェイスブックでの公式によるシェアも多少は影響があったかもしれません。(とは言え、ブログ全体が伸びたタイミングだったので効果があったかは不明)

またなんで数学ができないか書いた記事もフェイスブックにシェアしていただいたようです。ヤフー検索で出ていたのでちらっと拝見しましたがご感心いただいいたようでこちらもちょっと感動しました。(この記事はもともとずっと上位表示されていた。)

おべんちゃらではない評価をいただくということ

こういった経験からSNSが悪い部分しかないと思っているわけではありません。逆に心からの評価こそ価値があるのだなと思ったわけです。

 

こういったシェアはWEBおべんちゃらではないのです。何故なら全く見返りを求めていないから。フェイスブックのシェアには、筆者にとってちゃんと評価して見てくれる人がいるのだなというプラスの影響力があります。

ブロガーというのはやってみて思うのですが注ぎ込む労力ほどの見返りはありません。もちろん当初はという話ではあります。実はこのブログも広告収入はすでに発生していて多少の励みにはなります。しかし実のところ一つの記事は読む方は5、6分で読んでしまうものでも、筆者にとっては5、6時間掛けて書いてるものもあるのです。

 

開始当初のブログというやつはとうてい労力に見合う報酬がある状態とは言えません。(ここでお前も見返り求めてんじゃねえかというバカな突っ込みはやめていただきたい。)

そんななか、フェイスブックなどのシェアはとても書き手にとってはやりがいになるのです。本当にありがたいことですね。

評価の本質とは

 

本当の意味でいい記事だな、有用だな、面白いなと思うような記事以外がどれだけはびこったとして何か意味があるのでしょうか。読者はインフルエンサー気取りのバッタモン認めたブロガーの意見を聞きたいのでしょうか。

 

価値あるブログを書いている人はそれほど目立とうとせず、淡々と良いコンテンツを供給しているだけのように思えます。文章の評価は読者が決めることであって、昔の文壇みたいなものが今の時代に、ましてやブログに必要だとは思えないのです。

 

あなたはブロガーが評価したブロガーの文章を読みたいのでしょうか。それともあなたが評価したブロガーの文章を読みたいのでしょうか。

 

このように評価の本質とは非常に主観的なものなのです。それは読む人の感性によっても変わってきます。読んでいる時に置かれている状況にもよることでしょう。例えばがんにかかっている方にとっては同じくがんと戦っている方の闘病記がこれ以上ない価値を持ちます。心を打つ記事はどこかのコミュニティに入れば書けるものではありませんよね。

SNSでの評価の本質

SNSだろうがブログだろうが全て同じことです。

しょせんはSNSのいいねも多くは多数派のコミュニティに入りたいという所属意識や自己顕示欲でしかありません。WEBおべんちゃらとしてのいいねもしょせんはお返しをもらって自分のツイッター上での(しかも単なる1IDに過ぎない!)価値を高めるための利己的な行動でしかないのです。(ここで営利行為が利己的とかバカな突っ込みをしないように。)

 

利己的な行動が悪いというわけではありません。評価の本質とは違うということです。

 

それはすでに述べたようにコミュニティの後ろ盾が影響しない別のメディアで試せばすぐに分かってしまいます。いいねがほとんど付かない僕のツイッターアカウントですが、そのアカウントに関連する記事を書いて公開するとすぐにアクセスが集まってきます。いいねは押さないけど読みたいというわけですね。ブロガーとしては読んでいただければそれでありがたいのですけどね。

とは言え、この目に見えないPVというやつが本当の意味での評価を表してしまっています。いくらSNSでいいねをつけられようがそれで影響力があるとは限らないのです。

 

ぜひSNSでの評価稼ぎにあけくれている方は試しに本当に評価されていのるか試してみてはいかがでしょうか。

 

評価の本質は信頼できる友人や理解者を得ることと似ている

評価の本質とは理解者を得ることと似ています。

 

記事について心から感心してくれた読者を得ることは人生で理解者を得ることに近いのです。この時実は読者にとっても同じだということが重要です。

 

読者にとっても筆者が理解者だったからこそ心打たれたのです。(自分のことを言っているようであれですけど)

 

ふざけたことをしょっちゅう書いている僕の記事がどうかはともかくです。読者というのはわからないことを教えてくれたことに感心する以上に、なんで自分がわからなかったかを教えてくれる人、または理解を示した人にこそ感動するのです。そこで筆者が読者の理解者となるわけですね。

 

筆者にとっても同様です。自分の記事に感心し感動してくれる方を得るというのは最大の理解者を得ることと同じです。このように文章でも双方向のコミュニケーションが成り立っているのですね。(僕のキャラでこんな綺麗事を、という突っ込みは甘んじて受けます。)

 

お互いを理解し合う関係というのは、心からの親友とか腹のおけない知己を得るということに似ています。お互いを理解している以上の人間関係が果たしてあるでしょうか。まったくクサい発言ですがこれこそが評価の本質ではないかと考えています。

そしてこれはSNS嫌いの方の、SNS疲れの本質でもあるのです。

挨拶ではない評価をしよう
(WEBおべんちゃらはやめよう)

 

これは僕にいいねをしようとか、評価をしてくれということではもちろんありません。更に言えば誰かに積極的に評価をしようと促してるのですらありません。

 

本当にいいなと思ったときだけ評価をしようということなのです。その時は相手が自分にお返しをするかどうかなど関係あるでしょうか。全く素になれば誰しも自分が感動したかどうかなどわからないわけがありません。WEBおべんちゃらをする習慣があなたの感覚を鈍らせているのです。

 

普段のくだらないお付き合いをやめれば本当に感動している自分を見つけることも出来るでしょう。それはあなたが何をしたいか、何を必要としているかを自分で理解することを助けることにもなります。

このような出来たてのブログに感心してくれた方はとてもピュアな心の持ち主なのでしょう。そういう方の行動こそ見習う価値があると思います。

 

SNS疲れが増えていると聞きます。自分の本当の心に向き合って主観的で主体的な行動を取ることこそ健全なSNSとの付き合い方だと思いますよ。

 

良いSNSライフを!(もしくは良いブログライフを)

 

それではかしこ。

 

 

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