はじめに言っておくが、私はゆたぼんにたいして興味はない。
ただ、頑張ってほしいと思っているだけだ。
私はゆたぼんという少年不登校Youtuberにの主張は以下のようなものだと理解している。
学校はロボット育成所。行っても意味ない。自由に生きよう。
完全に正しいとしか言いようがない。
今の教育がいつできたか知っているか?
日本は第2次世界大戦後、米国の教育使節団の提言などを受け、小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年という「6・3・3・4制」を採用。1947年に学校教育法と教育基本法を制定した。(コトバンク)
昭和22年当時の教育基本法
朕は、枢密顧問の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。 教育基本法 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 (昭和22年教育基本法制定時の条文)
このように現在の6,3,3,4制は1947年にできたものである。その根拠はこのように昭和22年つまり1947年制定の教育基本法にある。
今から72年も前に作られた制度も我々は未だに守っているのだ。ゆたぼんはこれに対し異議を唱えたも同然だ。
その少年ユーチューバーゆたぼんに対し、ネットでは様々な反対意見が湧き出しているようだ。
しかし、その反対意見を述べているものはこの72年も前に作られた旧態依然たる産物に対し、疑問をいだいたことはあるのだろうか?自分で検証した上で「ゆたぼんは間違っている」と言っているのだろうか。
私は単に村社会の掟に気に入らないと異議を唱えた少年を村八分にし、叩き出そうとしているようにしか見えない。
しかしこの少年の言っていること、完璧に正解である。
近代教育は産業革命に対応するために作られたもの

その前に近代がなにか知っているかな?
近代教育がなにか知るために我々は近代について知っておこう。
歴史の時代区分の一。西洋史では、ルネサンス、大航海、宗教改革以降の時代、特に市民社会と資本主義を特徴とする時代をいう。日本史では一般に、明治維新から太平洋戦争終了までの時期をいう。また、それ以降を現代というが、1917年のロシア革命以後を現代、それ以前を近代とする考え方もある。( 三省堂 大辞林weblio)
もうすでに終わった時代のことだ。この記述では教育基本法以前の話である。しかし今の教育というのは近代教育だと思う。現代教育なんてものは存在しない。近代教育から変わったものがあるとすれば、体罰の禁止とかパソコンを教えることになったとか、歴史教育が左がかったとかその程度のことだ。
本質的には何も変わっていない。では近代教育はなんのために作られたのか、それは産業革命に対応するためである。つまり工業化する経済に対応するために作られたのだ。工業化された社会はより洗練されてサービス業を中心とした資本主義社会(資本主義経済)になっていくわけだが、社会で必要とされる能力は左程変わらず、近代教育が生き延びることとなった。
今の教育は古すぎる、教育内容さえ必要十分であるとは言えない
確かに詰め込み教育の一部は最低限の思考やコミュニケーションをする上で重要だ。世の中には文盲ではないか?と思ってしまうほど言葉が通じない人もいる。まっとうなコミュニケーションを行うためには最低限の国語力や論理的思考能力が必要である。
しかし、今のネット社会で成功するためにはそれでけでは不十分であると私は感じているし、あなたもそうではないだろうか。おそらく数学の大部分と物理や生物などの授業を削って、プログラミングやサイト作成などを教えたほうがネットでビジネスを行う基礎教育としてかなりマシであるに違いない。または動画編集などでもいいだろう。youtuberがいつまでも高単価な商売とは私は思えないが、少なくとも副業の一つとしては有望であり続けるだろうからだ。そのための教育のほうが物理なんかよりはかなりマシだと私は思う。
近代までは確かにロボットのような人間が必要とされた、今は逆だ
つい数十年前までは確かに機械のような正確さや長時間労働に耐える忍耐力が最も重要で個性はそこまで必要ない場合が多かったのだ。しかしそれは数十年前にすでに終わっている。おそらく20年くらい前にはすでに終わっていたのだろう。少しずつ世の中が必要とする能力は変わり、今は個人のクリエイティビティでお金が稼げる時代になりつつあるし、むしろ個性がある個人が莫大な利益を上げる時代になってきているのだ。今の学校教育は全くそれにそぐわないのである。
教育が何も変わらないのは子供に何を教えればいいか誰もわからないから
大人たちは子供に何を教えるべきか結論を出せずにいるのだ。
本来なら明らかに変容している社会に対し、教育も大きく変更しなければならないはずだ。しかし何を教えればいいかわからないのでその作業を後回しにしているのだ。
おそらく、成功した経営者や資本家(投資家)に聞けば、今の教育が必ずしもふさわしいとは思わないという答えが帰ってくるだろう。しかしだからといって代替案を出せる人もまたいないだろう。彼らにしても正解はわからないのだ。その大きな理由は社会の基準とは大きくかけ離れた自分の生き方が、大勢の人間に対して教えるのにふさわしいかどうかというためらいでもあるだろう。
しかし、社会や経済が変わっているのに対し、教育が何も変わっていないことだけは確かだ。
さらに我々は明らかに変わりつつある社会経済のはじまりのはじまりにいるために、一体何を教えるべきかもわからなければ、何を自分たちが学ぶべきかさえ迷っているようなありさまなのだ。
しかし誰に言われるまでもなく、すでにサラリーマンでいいのかどうか、あなたも迷っているのではないだろうか。

その迷いが、ゆたぼんの感じた疑問と違うものだと思うのかな?少年も、親に吹き込まれたにせよ自分自身で「今の学校はおかしいし、意味があるとは思えない」と思ったに違いない。
我々大人が迷うのと同じじゃないか。
ゆたぼん少年の言葉が父親に吹き込まれたものだと決めつけている人間が多いがそれは間違いだ。それが私にはわかる。
なぜなら私も少年時代学校に行く意味があるのかと考えたことがあるからだ。それは多くの人が一度くらいは考える素朴な疑問に過ぎない。親が寛容だったにせよ、ゆたぼんの言葉が自分自身の確信に満ちたものであることから、身近に肯定する大人がいたからだったとしても、ゆたぼん自身が心の底から思ったことでもあることは疑う余地はない。
大人に吹き込まれたからだなどと決めつけている人は、単に少年の心を忘れてしまったからに過ぎない。

頭固いよ?だからサラリーマンを続けてるんだ。あなたも一度今のままで自分が安泰か考えたほうがいい。終身雇用も崩れようとしている今、学校を出て安定したサラリーマンになるのが正解だなどと言い切れる人がいるはずがないのだ。
少年すら説得できない大人が少年を誹謗中傷するとは笑止すぎる
ゆたぼん少年に対する意見は、一部はまっとうな意見と言えるだろう。常識を伝えるのも大人の役目だし、まずは一通りの学校教育を終えてから自由に生きればいいという意見までが間違っているとは私も思わない。(私自身の意見はそれともことなるが)
しかし、ゆたぼん少年に対する「チャンネル削除祭り」というのはどういうことだろうか?まっとうな大人がやることとは思えない。第一、大人になってなぜ小学生のやることにそこまで関心があるかすら私には不明だ。私はゆたぼん少年の意見の要約はなんとなくわかっているがさすがに小学生の動画をまじめに見ようとは全く思わない。
チャンネル削除祭りなど妨害行為にほかならないし、誹謗中傷と同じとしか思えない。そんなことをせず、まっとうな文章を書いてゆたぼん少年や、また似たようなことを考えかねない少年少女に、なぜ学校に行かなければならないのか、納得が行くように説明すればいいだけのはずだ。

でも書いたって見るかどうかわからないって?それはブロガーやライター全員が背負っている宿命にすぎない。みんなそこから始めているんだ。この記事だって誰かの目に止まるとは限らない。完全に平等なんだ。ブロガーではないって?ネットで意見を表明するにはそれなりの積重ねが必要なだけだ。みんなそうやっている。それができないなら口をつぐむのが正しいやり方だ。
我々大人がやることは、ゆたぼん少年を説得する言葉を持っていないことを認めることではないか?
嫌がらせなんてしている場合ではない。我々はもっと考えなくてはならないのだ。
嫌がらせをする人間と前向きに頑張る少年なら後者が必ず勝つ
ゆたぼんは主張や考えがあっているかはともかく、学校へ行くのはやめたが、頑張ってYoutuberとして生きるということはすでに始めている。しかし誹謗中傷や嫌がらせをしている人は嫌がらせはしているが、生産的なことは何もしていない。成功する可能性はゼロだ。しかしゆたぼんは成功するかどうかはともかくYoutuberとしては一歩前進するだろうし、失敗したとしても動画で人に影響させることは難しかったくらいの気付き(学び)はあるだろう。
だとすれば、少なくとも前向きに行動した人間がいつかは勝つに決まっている。ネットで小学生をいじめるなどということは考えずに、あなたもこれからの教育は一体何を教えるべきだろうかとか、自分の子供が学校に行きたくないといった時、代わりにどんな教育を用意してあげられるだろうかなどと考えたほうがいい。それが生産性という言葉の意味だ。
集団生活や集団主義教育はもはや意味をなさない
今アメリカではすでにネットで知り合った人とバーチャルオフィスで起業するということが行われているそうだ。しかもCEOとCFOは会ったことがないと言っていた気がする。つまり会わないでビジネスを行う時代になったということだ。
こんな時代に嫌なヤツともなんとかやっていく能力なんてものは役に立たない。そりゃ旧態依然たる会社や役所で働くならそういった能力は必要かもしれない。しかしその道は我々は選ばなくてすむようになりつつある。嫌なヤツとは顔を合わせずにお金を稼げるようになりつつあるのだ。
これはアウトソーシングや副業が拡大していけばいくほど、「出社」というものに意味がなくなることや、その可能性が十分あることが予見できるだろう。
現代の学校教育なんて「クソなやつともなんとかやっていく忍耐力や鈍感さ」を養うくらいしかすでに意味がないように思えるが、それすら意味がなくなりつつあるのだ。
義務教育の内容もかんたんすぎて自宅学習で十分

学校の勉強なんて簡単すぎる
私はやらなくてもできたし、どんなバカでもやればできるレベルとしか思えない。不良が勉強できないなんて話はあるが、あれは無理やりやらせるから反発してやらないだけだろう。まあ自発的にやらせてもやらないかもしれないがそれは自己責任なので仕方がない。義務教育で義務化したってやらないやつはやらないじゃないか。それはみんな知っていることのはずだ笑
私は教育そのもの(勉強する内容や知識)は必要だと思っているが、できるやつなら自宅で10分の1の時間で独学できるようなものでしかないし、必ずしも学校に行く必要はないと考えている。今はわーわー言っている人が多いが、いずれ学校は落ちこぼれが行く救済施設のようなものになるかもしれない。
ゆたぼん少年も自己責任、サラリーマンも自己責任
ゆたぼん少年を批判して学校には絶対に行くべきと考えている人はわりと真面目に仕事をしている人か、義務ということを過大に評価している人だと思われる。例えば爆笑問題の太田がつまらなかったけど学校は皆勤したと言っていたが、抑圧された環境の中でこそ育つ個性もあるというのはよく分かる。私も割と厳格な家庭で育ち中学までは皆勤だったのだ。それを乗り越えることで得るものがないとまでは言わない。
そういった忍耐力はこれまでだったら役に立つ場合が多かったかもしれない。私の父親も理不尽や退屈に耐えてサラリーマンとして定年までやり遂げたのだ。しかしこれからの時代、おそらく父親と同じやり方でやったら45歳くらいでリストラされる可能性が高いだろう。
これはゆたぼんを批判している(おそらくは)サラリーマンであるあなたが直面する未来である。
大人に言われたことをやっていけば安泰なんだ。良い学校を出て良い企業に勤めれば安泰なんだ。こういった価値観が正しいと思うならあなたもそのまま働けばいい。しかしいつかやはり間違いだったと思う日が来る可能性は高いだろう。それくらい日本のサラリーマンをとりまく環境は激変しているのだ。
今の時代あなたがこのままサラリーマンとして生きることすら一つの選択に過ぎない。それはおそらく、間違っているかもしれないとさえ言える。
あなたがサラリーマンでいることを選ぶのは「自己責任ですよ?」といえる時代なのだ。その先は悲惨な未来しれないというのがまさしく現実になってきているのである。
このような時代にゆたぼん少年が「学校教育なんて意味ない。自分はそれとは違う道を生きる。」と言ったところで、だれが批判などできるのだろうか?自分が正しいかさえわからないのに!
かくいう私だって自分が正しいかどうかわからないのだ。それはこの先の経済が証明するに違いない。
我々はわからない時代に生きているのだ。わからないことを認めて、わからないなりに独自の道を歩き出した少年を後押しするまではできなくても、見守ってやろうではないか。我々自身もリスクを負って自己責任で自分の道を選ぶ必要があるのだ。
あなたが正しいと思うなら、どうせ失敗するといって遠目に見ていればいいだけだ。
そうしているあなたにも必ず未来は降り掛かってくる。